「実は今、どん底なんだ…」
「どうにもあいつには任せきれない」
「どうしてあいつらは、もっとやる気を出せないんだ!」
「今の業績ではどうしようもなくなる…」
「仕事がはかどらない。社員の残業も減らせない」
社長さん!
今、これらの悩みを言える相手がいますか?
あの時はうまく行ったのに。あの時は、どうすれば良かったのか?こうすればどうだったろう?
いま考えてみれば、あの時にとった施策は間違いだった。
でも一体、これからどうするのが正解なんだ!過去に回答を見出せない思考の記憶。
面白いこともあった。楽しいこともあった。辛いことも、悲しいこともあったし怒りもある。
悲喜こもごもの感情の記憶。
どちらも溜めておくとカラダに悪い。メンタルにも、業績にも影響します。
心を割って話せる相談相手が欲しいと思ったら、私とお話ししてみませんか?
過去の記憶には「未来への資産」が眠っているのですが、なかなか自分では見えません。
過去の体験則を基にしたコンサルティングでは間に合わない大変動の時代。
でも、あなたの悩みの中に回答があるのです。あなたの価値があるのです。
[社長さんの相談室]は、社長の「理想」と「今の現実」をつなぐ
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ものは試し。お気軽にどうぞ。

「第三の答え」それはなに?
――澄さんの第一印象はお世辞抜きに「うわ。笑顔が素敵!」です。はじめてお会いした時、澄さんの笑顔がその場を一気に照らしたように感じました。ちっとも無理のない笑顔。それ以来、いつお会いしても基本がにこにこ、そして時々あははと笑う。
そこで最初の質問は、澄さんの笑顔の秘密についてお聞きしたいと思います。
あはは。ありがとうございます。
秘密と言っても・・・、たぶん、取り越し苦労をしないからかしら。人が考えていることの60~70%は取り越し苦労だと聞いたことがあります。でも初対面の日に笑っていたとしたら、直子さんにお目にかかるのを私も楽しみにしていたからでしたよ。
――わぁ、光栄です。それにしても人生の60~70%もの時間が実は取り越し苦労だなんて、かなりショッキングな数字ですね(笑)。では、いつも笑顔の澄さんが、その中でも一番幸せな時はどんな時ですか?
そうですねー。対話の中で、第三の答えが次々と見つかっていく時かな。
――「対話」に「第三の答え」ですか。
いきなり核心に迫ってしまったような気がしますが、もう少し詳しく聞かせてください。
はい、確かにいきなり核心ですね。私は、「対話」をとても大切に考えています。
ものを知っている人が知らない人に教える、つまり知識の受け渡しは「対話」ではありませんね。対話とは、お互いに言葉を発し合うことによって一方からだけでは出てこない、そう、言うならば「言葉と言葉の彼方にある答えを引き寄せてくれるもの」だと思います。もちろんそのプロセスでは、自分なら発想しない筋道や、物事の見方を知ろうとする意識が働きます。そのような対話から引き寄せられた答えが「第三の答え」です。なんだかかっこいい表現になりましたね(笑)。それが次々と見つかっていくとき、私は一番幸せを感じます。

――なるほど。それが澄さんのコーチングということになるのでしょうか?
はい。私は最初から決まった答えを定めません。そして対話を求めている方も、その方の周囲で起こっていることや目標への到達を目指し、その意味や糸口を知りたくて私にコーチングを依頼されるのだと思います。だから当然、依頼してくる方も答えを知りません。というより、まだ答えに気がついていないことになりますね。
「目標を定めてそこに向かう」というセオリーは実現が早そうですが、なんだか次々「目標という山」を超えていくイメージになりませんか?
cos-comでは「海図を創る」という表現をするのですが、自分が目指す宝島にたどり着くまで、さまざまな港や乗船者や積み荷も変わる。
これは個人の人生計画や、プロジェクトの進行にも意外に「急がば回れ」みたいに役立ちます。(サードアンサーコーチング参照)
私は、対話を通して相手の中から第三の答えが浮かび上がることをお手伝いしますが、コーチである私が「答え」や「意味づけ」を提供したら、それは単に私の意見、つまり第二の答えになってしまい、違ってきます。
――つまり、自分で考えているのが第一の答え。第三者が意見するのが第二の答え。
第三者と対話をして、はじめてその中から浮上してくるのが第三の答え、というわけですね。
そうですね! たとえば身近な人に相談する時って、実は自分の考えに賛同してもらいたいか、逆に心配して意見してくれる人の意見に無意識に寄り添いたいかの、どちらかではないでしょうか。相談しても返ってくる解答は予測できる、ということもありますね。
私の場合は、たとえば「これは◎◎すればいいんですよね?」という方に向かって「そうですか?◎◎しないのもありでは?」なんて言ってみます。すると対話が回りはじめ、無意識の中に釣り糸が伸びていきます。そして対話を繰り返していくうちに引き寄せられてくる獲物が「第三の答え」。深海にあって見えなかったものなので、結果は釣りあげてのお楽しみ。だけど釣り上げた時に「これだ」と腑に落ちる。
確信を99%お持ちの方が「やはりその進め方でいいのだ」と100%の納得に繋がる何かを見つけることもあれば、1%の「なにか違うかも?」という引っ掛かりが99%の確信をひっくり返して、大逆転勝利をおさめることもあるのです。
――なるほど。自分の深層に答えがあることを知っていたとしても、それに本当に行き着くために、澄さんのコーチングを活用すればいいということですね。
ええ、自分ではたどり着けない深いところに、対話を通じて一緒に到達すると言えますね。
しがらみのない第三者
――何かお話いただける具体的な事例ってありますか? 澄さんを一番活用されたな、と思う方はどなたでしょうか。
はい、私事になりますが、私を一番活用したのは2006年11月に亡くなった夫であり、また近くに居たために私を一番活用しきれなかったのも、同じ夫でした。
彼はとても個性的で自己主張が強く、自分の考えを曲げない人だと周囲からは思われていました。さっきの例で言えば、たとえば「このカップは絶対に白い!」というタイプですね。ですから周囲の人は「自分には違う色に見える」ということを彼には言わずに、代わりに私に言ってくることが多々ありました。自分の主張を変える人ではないと、ちょっと怖れられていたんですね(笑)。
でも私は彼が徹底した対話を望んでいると思っていたので、これはという時には徹底的に話し合いました。そしてその対話が亡夫の心の深い深い意識にまで到達した時、それまでこだわり貫いていたことがコロリと変わることがありました。「昨日までのあなたはなんだったの?」と、こちらが言いたくなるくらい(笑)。

――すみません。大変失礼な質問かもしれないのですが・・・、もしかしてそれってご主人が対話に辟易して妥協したということはないですか? 近しい人からいろいろ言われて、もうその人に合わせた方が楽だ、なんて。
あはは、そう聞こえましたか? 亡夫はね、トップダウンの指令を確実に実現して行くという大企業の組織の中でも仕事をしましたが、その後、米国NBCに勤務してベトナム戦争の最前線を取材する中で、緊急時のひとりの勝手な行動が、チーム全員の命に関わるという強烈な体験をしました。それが他者に強烈なコミットメントを求めるという形で表れていたと思います。それに理論家だったので、周りの方々は彼の論理と体験には太刀打ちできないと感じてしまうことも多々ありましたね。けれども深層の彼は、自分と同様かそれ以上に自分の考えを持っている人々とのヒューマン・ネットワークの時代が来るということを待ち望んでいました。だから本当は「自分が正しい」ということだけを拠り所にしていたのではなく対話を求めていたし、それまで体験的に思い込んでいた事があっても対話が止揚してより深層に行き着いた時、コロリと変わることもあったというわけですね。
――そうか、ご主人にとっては答えだと思っていたことが実はこだわりだった。
澄さんとの対話でそのことに気がつくプロセスがあったということですね・・・辟易して妥協なんて、大変失礼しました(笑)。
ただ、そこに到るケースばかりではありませんでした。対話どころか相談もなしに新しいことが走り出してしまい、そんな時にはちょっと古い夫のタイプ「絶対的に全部を容認してくれる妻」を私に要求していました。夫婦だからこそ、近しいからこそ、聞く耳を持たない、持てない、といった矛盾ですね。だから現実的に事が進んでしまってから、その結果を後付けで解決しなくてはならないことも多々ありました。
もしもコーチという立場で亡夫と関わっていたら、事業の初めにどんなコンセンサスが必要かをちゃんと明確化できたかも。なんて、実際にはあり得なかったですが(笑)。
ですから今、私のコーチという立場を純粋に表現するならば、「しがらみのない第三者」という言葉が最も適切だと思っています。そういう立場で、皆さんには大いに私を活用していただきたいと思っています。
――確かにそうですね、友人知人であればひいき目に見たり、先入観が邪魔をしたり、または人間関係を壊したくないと思ってずばり言えなかったり・・・。純粋に「対話をする」というのは難しいかもしれませんね。
はい。おかげさまで、これまでにもHPを通して「しがらみのない第三者」として活用くださる方々が増えました。
今後もますます、多様なコラボレーションを実現して行きたいと思っています。
あ、先ほどはなんだか亡くなった人の悪口みたいになってしまったので、ここで名誉挽回です。
亡夫と一緒に仕事をしたのは1990年代でした。当時はバブルの崩壊後で、行き詰まったり、新しい考え方が必要なプロジェクトがいろいろと持ち込まれたりしました。夫と一緒にそれらのプロジェクトに乗り込んで行き、「それまでやってきた考え方や方針の矛先を変える」というプレゼンテーションを行いました。そこには、夫流の迫力がありましたよ。
私たちの得意とするところは、旧来の組織型で、ともすれば「指示待ち」や「意思統一ができていない」プロジェクトのメンバーに、目標達成のイメージを共有してもらい、自分の役割をしっかり自覚してもらう事などでした。夫がビジョンの再確認を行って皆を引っ張り、私が皆さんのお尻を支える、みたいなイメージでしょうか(笑)。顧客本来の目的に合わせてプロデュースしていくスタイルですね。
現代は「引っ張って行くリーダーシップ」よりも、「後押しするコーチング」のほうが役立つ時代でもありますね。この「本来のビジョンを指し示す」ということは、私もプロデュースの中に活かしています。
コーチングを超えたスミ・イング?
――ところで、ご主人が亡くなったのが2006年11月とのことですが、澄さんはその頃からコーチをされていたのですか? プロフィールでは、2007年に認定コーチになられたとなっていますが。

はーい。正直にお話しますね。夫が亡くなり、その後1年間は、小学4年生から高校3年生までの一貫教育をしている学校の現場で主任研究員というのをやっていました。しかし両親が年老いたので一緒に暮らす事にし、その生活を大事にしながらできる仕事のスタイルを考えていた時に、ロスに住む友人が「澄さんがずっとやってきているのは、コーチングですね!」と言ったのです。私はその指摘を受けて、改めてネットで「コーチング」を調べ、「あ、私が30年来、ビジネスコミュニケーションやプロジェクト・プロデュースとしてやってきたことだ」と思いました。
私は1980年頃からグラフィックデザインの事務所の他に、創造性や表現力を開発するセミナーハウスを創ったのですが、それは人々が「答えは自分の中にある」ということに注目しはじめた時代だと感じたからです。でも、一般企業ではそういった考えがまだ受け入れられず、個人が自己探求の範囲内でするものだという位置付けでした。当時の企業はトップダウンがすべて。上からの指令を確実に実行して行くというコンサルタント型のマネジメントで回っていましたから。
しかしやがてやってきた本格的なIT社会が、社会変化のスピードを一気に加速させました。すると企業側としても過去の経営手法だけではその対応に間に合わなくなってきた訳ですね。新たなマネジメント手法として、現場の社員の中にある答えを引き出して経営に迅速に反映させる必要性に迫られたのです。
トップダウン方式での方向指示と、ボトムアップ方式でのコーチング。このサンドイッチ方式がうまく働いたことによってコミュニケーションが組織の血流として廻りはじめ、業績を回復させた企業が現れはじめました。そんな中で「コーチング」というものが社会に認知されていったのです。
ものの30年で、ティーチングではなくコーチングと呼ばれる手法が、企業側の必要性から注目されるなんて、おもしろい話ですよね。
私は過去の仕事でも、個々の方との間でも第三の答えを引き出す方式で対話を行ってきましたが、プロジェクトを運営するにあたっても同様に目的を達成していくタイプでした。
強烈なリーダーシップでチームを引っ張るのではなく、まずは全体の目的を共有してそれぞれが自分の専門や立場、持ち場を自覚するところからはじめ、皆の意見をまとめあげながら一緒に目的に向かうのです。
友人に「澄さんのやってきたことはコーチングですね」と言われた所以はこのへんにあったと思います。それで改めて現代のニーズにふさわしいコーチングのスキルを勉強し、認定コーチになりました。

――なるほど、どうりで澄さんのコーチングは「コーチング」という言葉で一括りにできない気がしていたのですが、その理由がわかりました。コーチングという手法が認知されるずっと前から多くの方と対話をされ、第三の答えを導かれていたんですね。「コーチング」ではなく、もっと別の名前、「スミ・イング」なんて看板でもいいかもしれませんね(笑)。
あはは・・・それじゃ、水着を着て泳がなくちゃいけないみたいじゃないですか?
でも実際、認定コーチになるための勉強の過程で、「コーチング」が私の要素の一部をカバーしていることを知ったんですが、過去の経験や学んで来た人間学のすべてをカバーしているものではないということも知りました。
――そこなんです、澄さんのおもしろさは。今は「コーチング」というわかりやすい看板を掲げていらっしゃいますが、澄さんの圧倒的人生経験や知識の深さは、なかなかの「得体の知れなさ」です(笑)。それにごめんなさい、やっぱり澄さんの年齢ってものすごい安心感を与えるんです。
成長という山の登り方
はい。実は昔から早く年を取りたいと思っていましたね。小さい時からそうでしたが、やはりセミナーハウスを始めた30歳の頃に、はっきりと自覚しました。
その頃から多くの方と対話をし、企業のトップや諸々の組織分野の方々ともセッションをしてきましたので、対話の相手である私が年をとっているほうが「年齢によって裏打ちされた経験があるから安心だ」と皆さん勝手に解釈してくださるかな、なんて(笑)。
ただ逆に体験によって思考が凝り固まってしまうという危惧もあります。だからいくら年齢を重ね、体験を積んでも、自分の経験則を他者の答えにあてはめることはしたくないと思っています。私は聞かれれば自分のことはすべてオープンに話す質問ウェルカム人間です。でも自分の経験則のみでコーチングをするつもりはありません。経験を当てはめるということは、人を類型化して見てしまう事ともつながりますしね。
成長という山があるとしたら、私はCというコースから登ってきましたが、山の反対側にはAというコースもBというコースもある。Cコースの登り方が答えだという言い方はしたくないし、そんなことはわからないのです。
ただ、山に登っている途中ではあっても、山頂からもう一人の自分が、登る自分とその周囲を見渡す視座を持っているのはとても大切なことです。この視座は皆さんにも身に着けていただけることだと思っています。

――なるほど。だから澄さんは、私がいま登る前人未到のXコースに転がっていた岩の話も、いつも余裕でにこにこ、あはは、と聞いてくださるわけですね。
私はXコースを通って上がってこなかったけれど、俯瞰的な視座があれば、少しは余裕を持って見守れますものね。そういった意味では、私自身が実際に年齢を重ねたことによって、眼下には無数のコースがある、ということを実体験からより一層お伝えしやすくなったとも言うことができます。その点やはり、年を取るというのはいいものですね。
――私も澄さんにお話するときは、この方はいろんなコースを知っている方だという安心感があって、なんでも話してしまって・・・すみません。感謝していますが、いつも聴き役ばかりで疲れるだろうな、なんて。
疲れないですよ。とってもおもしろいです。
人は一人ひとりみんな違うし、どんな方ともかけがえのないたった一人の方との出会いだと思っています。長く付き合っても時々「はじめまして」と言ってみたり(笑)。
対話というのは、その方が体験したことを、経験にまで昇華していくプロセスでもあります。人に説明できるということは、渦中の自分を、もう一人の客観性を持った自分が冷静に見つめ、体験から学びを得ているということです。その学びを通じて、人はどこまでも成長していきます。この方は次にどんなふうに成長されていくだろう、という楽しみを持って、いつもお話をうかがっています。

――人の成長に限界はないということですか?
はい、私はそう考えています。子供の頃には「人間はどうせ死んでしまうのに、どうして生きているんだろう?」と考えていましたけれど、ある時から「どうせ死んでしまうなら、どこまで成長できるかを考えたほうが面白い」って思うことにしました。
「成長って何?」と聞かれたら、小さな子供がなにか新しいことができるようになった時の、周りをも嬉しくさせるような喜び、と言い換えられるでしょうか。それと同じように、ささやかな事でも「これだ」という確信を得た時の人間って、最高の幸せに満ちていると思いませんか?
私には「思考は無限だ」という感覚が常にあります。
哲学でも「人はなぜ生きるのか」の、唯一の答えは見出せないけれど、問いかけた一人ひとりの思考の彼方に、それぞれの解答があって良いのだと思っています。
さらに言うならば、個々の夢想や想像を超えて紡ぎだされる「第三の答え」そのものが、無限に進化していくものだとも思っています。そして思考が無限なら、人も無限に成長していけるということ・・・私はそう考えて、さまざまな問題意識に対する実践的な答えをご自分で見つけて行く方々のお手伝いを生業にしたというわけです。
再び私事に戻ってしまいますが、亡夫は結婚する前から「無念の死」という言葉を口にする人でした。それは彼の生い立ちからきたものではありましたが、私は彼にそんな言葉を言わなくて済むようになってほしいなと思っていました。
彼にガンが見つかった時、医師からの情報はすべて二人で共有しました。そして最期には自分の葬儀をどうしてほしいかということや、そのあとのことについてまでも、すべてお互いに対話をすることができました。そんなある時、私がふと気がついて「貴方はいつの頃からか“無念の死”ということを言わなくなったわね」と言うと、彼は「そうだなぁ。今は無念という気持ちはまるで無い。でも未完ではあるな」と穏やかに笑っていました。
私はこれからも対話を通じて、ご自身の目的にかなった第三の答えをお一人おひとりが見つけ出されるサポートをさせていただきたいと思っています。そして私自身もそんな皆さんに刺激を受けながらどこまでも成長し続けることができたとしたら・・・こんなに素敵なことはないですね。