セッションルームをリニューアルしました


 

部屋の印象が変わりました

エンディングセラピー講師の 椎原 澄です
セッションルームをリニューアルしました

今の住処に転居して7年目
高齢の両親と暮らしを中心にしながら
できる仕事の形としてメール・コーチング
そしてライブセッション

いつのまにか それだけではなく
外での講座や研修 ワークショプなども…

ふたりを見送って早や2年
昨年来 これからの仕事の形を模索しながら
とても必要性を感じて 構築したのが
エンディングセラピーです

高齢者も 見守る家族も
医療従事者も 介護従事者も
どんな環境条件や 大変な現実があっても
日々が「こころ穏やか」であること
精神の自由が 守られ
変化に対する 柔軟な意識を持ち
話し合える関係を作り
その人らしく 人生を全うできるように

これからもじっくり取り組んでいきたい課題です

そして昨年来 ホームページのリニューアルを考えながら
それ自体が まったく私の「振り返り」
まさにセルフコーチングを していました

まるで 膨大な日めくりを
そうとは意識せずに あれこれめくっていたようです

だからホームページの 軌道修正も半端なく
デザイナーの美保さんには
長いおつきあいへの 感謝感謝です

そして どうやらリリースのメドが見えました
7月8日には リリースできそうです
これから私が どんなお役にたてるか
今現在における 集大成のカタログでしょうか

ホームページのリニューアルを考えながら
どうにかしたいな と思っていたセッションルーム
今の住処は 娘たちがいったん 家を出た後に
父が建て直しをした家 父がとても愛した家です
それでも30年以上はたつのかな

そしたら 旧友から こんなやり方を薦められました
このフランス製のペイントJCOLOURです

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これ すごい! 色調 テイストが とてもしっくり
色種も豊富で cos-comのシンボルカラーを2色
あしらって塗ってもらいました
もしもお部屋を変えたかったら ぜひご紹介します
天井と四方の壁を1日で塗り終えて
その日のうちに乾きました 費用もリーズナブルです
さあ これでまた新たにお客様を気持ち良く迎えられます!

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以前鎌倉に暮らしながら やはり仕事の中心は東京でした
でも東京からも たくさんの方が
鎌倉まで出向いて下さいました
そして口々に言って下さったのが
「遠いと思ったけれど 大船を過ぎるあたりから
 意識が切り替わるのが 不思議です
 東京でアクセク考えるより 一回り発想が大きくなる」

今の住処は 都内だけれど
ちょっと郊外のような 静かな住宅地です
同じ都内でも 意識を切り替えるための 舞台装置です
ぜひこれから ホームページのメニューを
ご覧になって いらしてみる氣に
なってみて下さいね
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苦手なこと


 

「かないくん展」に行ってきた

 

エンディングセラピー講師の 椎原 澄です
昨日は午前中に初台での講座を終え
午後からの予定だった仕事が延期になったので
渋谷パルコ3階で行われている
「かないくん展」を観てきました

かないくん展
死ぬとどうなるの。
「ほぼ日」の死と生の展覧会

「ほぼ日」の糸井重里さんが投げ掛け
谷川俊太郎さんが ひと晩で書き上げ
松本大洋さんが 2年かけて絵を描いた絵本展
会場デザインは祖父江慎さん

ちなみに 今日6月2日までの開催です

会場に向かいながら 私は考えていました
「これって ブログに書くってことだよな?」
そうなんです
ブログを書く事をクセにしようと思っているのに
いつの間にか 勝手に日時がたっています

メールコーチングを書く事は得意なのに
ブログは不得手
そんな思い込みを変えようと思い
昨年から取り組み始めたのだし
書く事はいくらでもあるのだから

これまでに2回 ブログを途中で
止めてしまっています
だから 今回は止めないように
WordPressで作る という負荷を 自分にかけて
コツコツと 自分で構築しました

なんとか続きそうな気がしています
肝心なのは 「あーやっぱり苦手」と思うのを止めて
「あ〜また書けばいいんだ」とゆる〜く考えることにしたこと

HPとブログとLPやメールマガジンやFBなどの
メディアMIXを念頭において
連動させることを イメージしながら
コツコツと 書いていく事かな

・・・と話がずれてしまいましたが
そういえば 苦手なことって 色々あります

私は展覧会 美術展 博物展また講演会なども
誰かと一緒に観るのは苦手なのですが(誘われれば行きますが)
それがなぜだろう?
なんてことを 昨日は考えていました

そしたら こどもの頃に
「感想文」を書くのが苦手だったことに 似ています
「私は こう感じました」なんて 書くのが苦手
常套句しか 思い浮かばないのが苦手

なんだか 本当に感じていることは
ことばにできないくらい
深いところにあるのに
説明的なことばで 感想を書いてしまうことって
しらじらしい気がする

だから 一緒に観たひとと
観たあとすぐに 感想を言い合うのが苦手

そんなことが 思い浮かんできたので
「それなら この展覧会を観ながら
自分が 何を感じているのか」を
観察してみることにしました

そしたら おもしろいことに 気がつきました

展示されている 松本大洋さんの
下書きや ラフスケッチ
谷川俊太郎さんの 詩や朗読
祖父江慎さんの 会場構成

これを作るのに
一番楽しんだ人 一番大変だった人は誰だろう……

そういえば 松本大洋さんって
工藤直子さんの息子さん?
「ほぼ日」での 谷川さんと松本さんの対話が
おもしろかったな

そういえば 谷川俊太郎と佐野洋子って
結婚していたことがあるんだよな

佐野洋子さんが亡くなったあと
工藤直子さんが 追悼文を書いてらして
佐野さんと工藤さんは 友人だった…

そんな風に連想が
この展覧会とは 直接関係のない
工藤さんと佐野さんへと 流れてしまいます

そして
私が それぞれの意味でとても好きな作家たちが
おもしろい人間関係で 繋がっていたことの
不可思議さを思いながら
最後に思っていたことは
佐野洋子さんの作風とその死のこと…

「かないくんの死」の彼方は
私にとっては それぞれの意味で好きな作家たちの
人間関係と その死だったけど
それはそれで ひとつの物語
いえ ひとつどころか 無限に広がる
無数の物語に なるのだなってこと

展覧会を観ながら
私は「感じていた」のだろうか
それとも「考えていた」のだろうか…

そんなとりとめのないことを
とりとめなく 書いています
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ちなみに「かないくん」とは
谷川さんの小学校のクラスメート

特に親しかったわけでもない友の死が
「死について」というテーマで書いて欲しい
というリクエストから 浮上してくるというのも
やはり死と生は 時空を超えて繋がっているのかな
なんて 月並みな「感想」を書かないと
ブログが書き終わらなくなってしまいました
560210

谷川俊太郎:「二十億光年の孤独」などの詩人
松本大洋:「竹光侍」などの漫画家
工藤直子:「のはらうた」などの詩人
佐野洋子:「100万回死んだ猫」などの絵本作家、エッセイスト

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原風景とエンディングセラピー


 

懐かしい貌 様々な風景

 

エンディングセラピー講師の椎原 澄です

現在 私のサロン「コーチングcos-com」があるのは
東急多摩川線の一角 多摩川の河川にほど近い
静かな住宅街です
2007年の暮れ近く 37年離れていた実家に
高齢になった両親と 暮らす為に転居してきました
そう 20歳まで暮らしていたふるさとです

地方から東京に出て 下宿やアパートに住んでいた
友人たちが うらやましくて
私も ひとりぐらしに憧れて
アルバイトで溜めたお金を資金に
住む場所を決めてしまってから 親に伝えた若かりし頃

その後の37年は ずいぶんあちこちに住みました
数えてみたら 転居は軽く20回を越えます
様々な土地の記憶は また思い出しながら
改めて 書いてみたいと思います

そういえば 私が 中学生か高校生の頃に
父が機嫌良く酔っぱらって 私たち姉妹に
「おまえたち… 大人になって
もしも親に感謝する気持ちが湧いたら
それは親じゃなくて 社会に返しなさい」なんて言ったとき

「えらいこと言う親だな〜 それなら私は
社会にも親にも 恩返ししよう〜」なんて
殊勝ことを 考えた覚えがあるのですが

たいしたこともできないまま
いえ むしろ親には 散々心配をかけて
それでも「親の最期は 私が一緒に暮らすのかな」と
その時の記憶が 実家に 私を運んできたのかもしれません

一緒に暮らし始めてから 父に昔の話をしたら
「そんなこと言ったか?」って すっかり忘れていましたが…

さて 東急多摩川線は 昔は目蒲線の一部でしたが
いつのまにか 多摩川駅と蒲田駅の区間 5駅だけが多摩川線に
目黒駅から 多摩川駅から川を渡って 日吉駅に行くのが目黒線
渋谷駅から 多摩川駅を通り 川を渡って横浜方面が東横線
目黒からも 渋谷からも
他の地下鉄と繋がって 複雑な路線に なりました

多摩川線の沿線は ポッカリと 昔の佇まいが残っています
多摩川駅のひとつ先の田園調布とは 全く趣きの違う
庶民的な 駅前商店街
昭和30年代の映画のロケが 行われる町並みです

家の近所も 昔のままのお宅が大半で
両親と 同世代の方々が 今も暮らしていらっしゃいます
私の世代の娘や息子が出てしまって
ご夫妻や すでにお独りになってしまった方のお宅も

ところでここには 「町内会」というシステムも 残っています
今年は 私が「当番」で 町内会費や 年末の募金集め
回覧板を廻すなども 当番のお役目です

細かく区分されていて 大した件数を廻るわけではありません
でも先日 早速「赤十字の寄付」という毎年恒例の集金があって
何件かの お宅を廻ってきました

私や姉との 小学校の同級生の お母さまなど
お独り暮らしのお宅を訪ねると
ピンポーンとブザーを押しても 玄関のドアが開くまでに
とても時間が掛かります そして私の顔を見て
「まあ。。。。」って 顔を覚えていて下さったみたいで

「ごめんなさいね。。。。歩くのに時間がかかちゃって」

いいんですよ マイペースで
ゆっくり のんびり ご自分の時間を過ごして下さいね…

「ここに名前を書くんでしたわね」
はい お名前と住所が 必要なんです

「私が書きましょうか?」と名乗りでて
玄関先で 書いて差し上げました
そしてちょっとだけ 親のことなど立ち話を

「まあまあ あなたの笑顔が見られて
今日は1日 得したみたいよ」なんてことばをいただいて
うっすら涙を見せられたら…

・・・80代での独り暮らし
どんな過去を暖めながら どんな今後を思いながら
毎日の暮らしを 過ごしているのでしょうか
ちょっぴり切なく 日常で何ができるのかしらと
改めて 考えた昨日でした

多摩川の土手に登ると
川を挟んだ向こう岸は 神奈川県です

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60年代にあった東京オリンピックは
東京の貌を 大きく変えた地域がたくさんあったけれど
このあたりは 街も川も
私が小さな頃にみた 原風景とは 大きな変化はありません

川原敷の グラウンドでは
高校球児や サッカー練習の 声が聞こえます

そして 多摩川の向こう岸は
高層マンションがいくつもいくつも立ちました
富士山が ビルの間からしか 見られなくなったのは
ちょっぴり残念かな

560210

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憲法記念日とエンディング


 

お天気が気持ちよい連休ですね
今日はどんなことしましたか?

 

エンディングセラピー講師の椎原 澄です
憲法記念日とエンディング なんの関係があるのでしょう?
あなたは憲法と聞くと どんなことを思い出したり
感じたりするのでしょうか

私は 昭和30年代に小学生だったので
その頃の先生が 「平和憲法」のことを誇らしそうに
話しておられたのを 覚えています
全世界に先駆けて 戦争を放棄したということは 素晴らしい
先生が誇りを持って こどもたちに 伝えることができるのが
日本の憲法なのだというのが 私の憲法への印象なのです

戦前に生まれた方でも その年齢や過ごされた環境によって
戦前と戦後の違いを 様々な体感として 覚えていらっしゃいます
まだ小さくて敗戦を迎えた方は もう飢えなくてもすむとか
中学以上にもなると おとなたちの豹変を 心に刻み付けたり
自分が軍国少年・少女であったことを 恥じたり傷ついたり

でも そういうことを知ったのは ずいぶん大きくなってからで
私が小学校の頃の父親たちは 徴兵から帰還した方々も
たくさんいらした世代なのに
どこのお友達の家でも お父さんやおじいちゃんから
家庭で 戦争の話を聞いたりしていなかった 気がするのです

けれども「憲法」の違いから言えば 私たちの親の世代は
戦争に駆り出され ちょうど 父と同じくらいの年代が
「特攻隊」という 国からの エンディングを突きつけられたり
上空から飛来する おそるべき殺戮の火球に
なすすべもなく 逃げ惑っていたわけです

あなたは 日本国憲法を 読んだ事がありますか?
この本を知っていますか?
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奥付を見ると 1982年4月20日初版発行
私が持っているのは 同年7月で初版11刷ということは
ずいぶん売れたということでしょうか
たしか数年前に新聞で 復刻版がでたという記事を見ましたが
あまり話題に なっていない気がします

この本 なかなか洒落たことを するではありませんか
とても大きな字でルビが振られ 写真も豊富にはいっています
家庭に一冊 この本があって 
家族で読んで喧々諤々 話せればいいのに

久しぶりに 手に取ってみると 読みやすいし
「前文」は4ページ 700文字にも満たない量で
とても平易な文章で 書いてあることも
例えば親が こどもに読んであげても 
簡単に意味が 説明できそうです

日本語らしくないとか 文化がない
無味乾燥だということを 言う方もいますが そうかな
私には とてもフェアな考え方が 綴られているように読めます

最後のページには 英文でもこの憲法が載っており
また旧憲法「大日本帝國憲法」の全文も載っていますから
なかなか念がいっていますね

そうそう 洒落たことと言えば これは最近のことですが
ある主婦の方が 
「憲法第九条」にノーベル賞を 受賞させようという試み
本当に ノーベル委員会に掛け合って なんと署名を集めれば
候補にあげられることに なったというではありませんか

「憲法第九条」をどのように擬人化したのかな?
というおもしろさを 私は感じたのですが 
日本人全体が 対象となるらしい
もし授与されたら 誰が受け取りに行くのでしょうか? 
なんて想像するの 楽しくありませんか?

「護憲!」とか「改憲!」とかいう騒ぎ方よりも 
ずっとウィットにとんだアイデアだと
思うのですが どうもまだまだ署名が集まらない模様です
署名サイトのイラストが 私はイメージが違うな 
という投稿もしたのですがね

署名ページをリンクしようとしたのですが 
なぜかできないので URLを貼っておきます
http://chn.ge/1dSWvo1 

憲法記念日とエンディング なんだかとりとめが無くなりましたが
何かに強いられたエンディング それはいやだとは思いませんか?

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死生学とエンディングセラピー


 

死に関する量的調査

 

エンディングセラピー講師の椎原 澄です
昨日20日の日曜日は
東大《医療・介護従事者のための死生学》春季セミナーに行ってきました
参加者証を見たら 2009年から通っているので 今年は5年目に入ります
あ 父が亡くなる1年前から 通っていたんだ と気がつきました

昨日は 終日のセミナーでしたが
普段は月に1回 18:30〜20:30 様々なテーマで行われます
2〜3月はお休みだったので
4月16日の 久しぶりの開催にも参加しました
今日のブログは そちらがテーマです

ちなみに当日のテーマは
「日本人の死生観をどうとらえるか──量的調査を踏まえて」
東京大学死生学・応用倫理センター准教授 堀江 宗正さんのレクチャーでした
その日は30分ほど遅刻したら 教室に溢れんばかりのひと
あんなに大勢だったのは 始めてだったと思います

さてあなたは 「日本人の死生観」ってどんなことだと思います?
笑わないで下さいね 当日のレジュメの「結論」には
ーー 死生観に結論なし ーー

そう あなただったら同意して下さると思うのだけれど
「量的調査」をしたからと言って
「日本人の死生観はこうだ」なんて 言えないですよね
でも 大事なことは こういうことに取り組む姿勢
そして 意識の傾向は アンケートの内容から 導き出されます

この調査は 堀江准教授が 自殺に関する研究の一環として
1000人規模のネット調査を行ったものだとのことです

例えば死の恐怖に関しては
全体では「怖い」55% 「怖くない」35%
でも年齢差で見ると 20代では71対19 なのに対し
70代では37対51と逆転したり・・・

また 宗教は信じないが 死後生を信じる層の存在や
延命や自殺に関する 調査も 興味深いものでした

そして エンディングセラピーに 一番関わりの深い設問もありました
それは 「死について家族と話すことに抵抗感が「ない」75% という数字です
ほんと?

ここには質疑応答の時間に 参加者から
「患者やその家族に向き合う現場にいる自分としては実感がわかない」
という発言もあり 発表者もアンケート対象者の違いによっては
数字が異なるだろうと いうことでしたが…
たしかに 「抵抗がない」と言えても 「では実際に行っていますか?」では
また違った 数字になるということも 考えられますね

エンディングセラピーの 目的のひとつは
「家族間 そして家族と医療従事者や介護従事者との間」の
質的なコミュニケーションの 向上です
参加して下さるかたが 増えることを願って また説明会も開催します
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その他にも 話題にすべきことは尽きませんが 今日はここまで
日曜日のことも また書けるかな
560210

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エンディングセラピーをどう考えるか


地球からの卒業と その送り出し方の両方

エンディングセラピー講師の椎原 澄です。
昨日upするはずだったブログです
外出時間になってしまい 間に合いませんでした
昨日upされた文章として 読んで下さいね

昨夜は満月でしたね。

私は このブログを書いているWordPressの
作り方と使い方を学んだ WPMマスター塾で仲良しになった
北薗明美さんのアトリエで お月見でした
昨年から 満月ナイトとして開催していらっしゃるイベントです

麻布十番の9階からみる お月さま
アンデルセンの「絵のない絵本」だったら どんな物語になるでしょうか
昨夜は「なまえ」に関する”ことたま”を 明美さんの解説でお聞きし
それぞれの物語に イメージを膨らませた夜でした

昨夜の満月は 満月の一部が欠けたまま東の空から昇ってくる
「月出帯食」と呼ばれる 皆既月食だったそうですね
やがてまんまるい月になり 数時間の間に 上空高く昇っていました
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さてさて 月をみていたら エンディングセラピーってなんですか?
そんな質問に 「地球を卒業するお手伝い」
というのはどうかしら? と思いつきました

満月の日は 行動できない理由や いらないブロックを
手放す力が強いのだそうです
特に月食&てんびん座の満月に 解放できるパワーが高いとか

肉体を 手放すこと そこに至るプロセスを
ていねいにサポートしていけたらと 思います

あなたは お誕生日が好きですか?
お誕生日がくると うれしいですか?
私は どんなに高齢の方でも お誕生日と聞くと
心がピョコンと嬉しくなります おめでとう! と言いたくなります

どうしてだろうと考えていて
ある時「お誕生日は 地球にデビューした日」という表現に出会いました
そうだそうだ!地球にデビューした日だから嬉しいんだ!
どこでその表現に出会ったのか 私はできるだけオリジンを大事にするのだけれど
覚えていません それでそのまま 使わせていただいています

でも これまで「地球を卒業する日」という表現は 見たことがないので
これは堂々と 使おうと思います

地球を卒業して どうなるのかはわかりません
でも 地球にデビューして 色々あったけど 出会ってよかった
大変だったけど ありがとう って言えたらいいのかな
言えなくても それぞれに 何かの思いが持てたらいいのかと思います

見送る側と 見送られる側の スピリチュアルなコンタクト
そこをサポートするのが エンディングセラピーかな と思います
でも いわゆる看取りのみを指しません
「いつからでも はじめられる」・・・です

手放すことと 受け入れること 受け入れることと 手放すこと
誕生から死まで 私たちは 様々なかたちでこの反復を していると思いませんか

亡夫が 亡くなる1年ほど前でしょうか
「そうか 男だから何かを形に残すことばかり考えてきたけど
それぞれの心に 何かが残ればいいんだ」って 言ってました
とっても穏やかな表情で 満ち足りていましたね

そうだね ちゃんとみんなの心に遺っているよ
知人友人と 話題にできることが いっぱいあるよ
いろんな感情を呼び起こす 嵐のような人だったねって……

560210

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介助する人、介助すること


年の初めと4月になった時、
どちらが「スタート」の気分ですか?

エンディングセラピー講師の椎原 澄です
4月になりましたね 消費税もあがります
さあ 仕事しなくっちゃ

あ 消費税があがるから 仕事しなくちゃと 読めましたか?
そうではありません 私はどちらかというと
年の初めよりも 4月がスタートという気持ちになるみたいです
1〜3月は どちらかというと じっくり準備の期間
毎月第4土曜日の午後に行う cos-com塾の準備もコツコツと…
4月で切り替えて 新鮮な気分で 新たに歩き出したい気分です

さて タイトルの「介助するひと 介助すること」は
3月22日に観に行った 演劇発表会のタイトルです
メールコーチングのクライアントさんが 出演する演劇
とは言っても プロの劇団ではなく
世田谷パブリックシアターが企画制作する
公募によって集まった方たちが 数ヶ月のワークショップとのこと
「地域の物語」というタイトルで 様々なテーマで行われ
今回は「介助するひと 介助すること」がテーマとのことです

「介助と介護 その違いはわかりますか?」
その問いかけから始まった舞台ですが
セリフは軽快で 飛んだり跳ねたり 踊ったり
台本を覚えて芝居をするのではない
生成過程が想像できる 面白い試みでした
ワークショップのプロセスで 入れたいのに断念したことが
きっとたくさんあっただろうなあ

舞台終了後の 出演者進行役の数名と観客席とのアフタートークでも
そんな話題がありましたね
観客席には 車椅子の方々も多く 劇中モデルになられた方の
「自分から話せるようになった時に 皆のものになる」
という言葉が印象的でした

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障害のある方への介助が
「介助される側の主導」でなされるようになるまでには
介助は人間の尊厳を基本においた
自立した社会生活を送るうえでの必要な能力をサポートという
社会の理解を得るまでの 大変なプロセスがあったことですし
まだまだ一般的には
介助する側の論理が優先していることも 少なくありません

高齢者の介護においても
介護される側の精神文化を大事にすることが
老いや認知症を遅らせるということは
エンディングセラピーの中でも とても大切にしています

はやく書こうと思っていたのに
観劇してから一週間以上が過ぎ 記憶も大分薄れてきました
今日書いたことは 今の時点で私に残っているエッセンスに過ぎません

そう思って いっぱいメモ書きしたはずのプログラムを
ひっぱりだして写真を撮りました
そしたら私のメモ書きではなく 印刷されたことの中に
嬉しいことを発見!!

「ワークショップの流れ」というページに
「障害者もつらいことだけではない笑顔の大切さを知った」の文章
もちろん内容も素敵ですが
「障がい者」ではなくて「障害者」の記述です
進行役プロフィールの中にも「障害者」の記述があるということは
意識的に使っているということですね

私もかねがね「安易な言葉の書き換え」が大嫌いで
さらには「漢字とかなを入り交じらせる」なんて美しくないと
心から思っています
この文の中に 障害と書いてからの発見だったので
ちょっと嬉しくなってしまいました
こだわりを持つ事って 大切なことだと思います
こだわりについて対話できたら もっと素敵です

短いけれど 今日のブログはこれでおしまいです
春の日差しの中から 小さなお地蔵尊のごあいさつを贈ります

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560210

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来年の桜


 

昨日今日 ご近所の桜は どんな風情ですか!

 

エンディングセラピー講師の椎原 澄です
暖かくなってきました 今日は春一番との予想も?

桜の並木 まだ莟もはっきりしないけれど なんとなく
木々の周りにうす~い 桜色のもや~とした気配の頃が好きです
写真ではわかりにくいかしら
cos-comにほど近い 多摩川の桜も 毎年見事ですよ

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桜の見所は たくさんありますね
あなたが 好きな「桜」はどこにいますか

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亡夫も桜が大好きで
青山墓地 千鳥ヶ淵の桜
仕事の途中 車からちょっと降りて散歩したものです
鎌倉の段葛も なつかしい桜です

「来年の桜は 見られるだろうか…..」
入退院を繰り返したり 高齢になった方も
なんとなく つぶやかれる言葉です
日本人の 心情なのかもしれませんね

聞く側は 少し切ないですね
あなたなら なんと返答してあげますか?

成功は5分5分と言われた
夫が最初の手術をしたのも 桜の季節でした
散らずに間に合った退院の日
なるべくたくさん桜の咲いた道路を通りながらの帰宅途中も
やっぱり夫も このセリフをいいましたっけ

大丈夫 亡夫はその後6回も 桜の季節を過ごしました
川べりのたわわな 桜の下をゆっくり歩きながら
俳句を作りあったりしたこともあったっけ

話は飛びますが
Dr.エリザベス・キュブラー・ロスのことを
私は 講座やコーチングで時々話題にしています
最近の医学界ならびに死生学でも すでにロス博士は古典と言われ
あの5段階説(※註)は古い 現在はあの段階をそのまま踏むのではなく
「何度も行ったり来たりしながらが常識」と
おっしゃる方の 話もお聞きしましたが
「このプロセスは何度も繰り返す」ということは
ロス博士の著書に 何カ所にも明記されていますし
患者のみならず 取り囲む家族もそのプロセスを辿り
お互いのプロセスが 噛み合っていない時のサポートが
とても大切だと ロス博士がしてきた取り組みは
忘れられてほしくはありません

5段階説だけが独り歩きしてしまうと
「あの人はまだ受容出来ていないのよ」というケアする側の
視点の曇りにつながる という否定の仕方もあると聞きました

でもこれって
「5段階」を知識として「他者を一方的に判断する材料」としてみるのか
「5段階」を知恵として「他者をケアするための自分自身の指標」にするのか
それによって 大きく違ってしまうのではないでしょうか
エンディングセラピーはもちろん 後者の姿勢で取り組んでいますとも(^^)

桜とは 関係のない話題のようですが
やはり 夫が初めてガンの告知を受けた時の事と 
上記した桜の風景が 私の中では 重なるのですね
ふたりで並んで 医師の診断を聞きながら なぜかふたりとも
「否認」は沸き上がったきませんでした
その後の対話の中で 夫からは
「俺にはキュブラー・ロスの5段階説 関係ないな」という言葉もでました
でもね 色んな形で現れましたよ 彼にも 私にも
私はやはり 知っていてよかったなあ と思ったものです

※註:死の受容の5段階説

エリザベス・キュブラー・ロスが著書「死ぬ瞬間」で発表したもの
自分が助からないとされる病気であることが分かった時から
それを受け入れる過程を表したものですが、すべての人がこの経過を
辿るわけではないということも書いています。
否認:そんなわけはない、間違いでしょう?
怒り:なぜ私が!どうしてこんな酷い事に!
取引:せめて息子が成人するまで。なんとか娘が戻ってくるまで….etc.
抑鬱:どうせもう何をしても間に合わない、自分は何もできない。
受容:事実を受け入れ、それまでをどう生きるかを考え始める

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3月12日に考えたこと


 

昨夜は、CWSコモンズ佐藤修さんの
「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか」の
ラウンドセッションに参加してきました

 
エンディングセラピー講師の椎原 澄です
昨年 佐藤さんたちが青山学院で
駐日EU代表部経済担当官のレネ・ダイグナンさんが
初めて監督・制作したドキュメンタリー映画
『Saving 10,000: Winning a War on Suicide in Japan』
の上映と討論会を行って以来の参加でした
⇨ 映画はYouTubeで観られます

佐藤さんは 極めてユニークな視点と行動哲学を持つ方なので
自殺防止!と声高に訴えたり 大きな会合を開いたりするのではなく
そういった状況を生む 社会的な状況を多面的に考えながら
20人くらいの様々な分野の 固定しない参加者で
様々な角度から この問題を話し合って行きたいと考えているそうです

昨日は「組織に働く人の自殺を考えるラウンドセッション」
実際には どこの企業・組織にもあることなのに
個人では事実の話してくれても 組織人として公開討論にはなかなか
参加しにくい できない話題でもあります

佐藤さんは 自殺という問題に向き合うのに
A:その事自体をマイナスとして 防止という観点から観るか
B:そういう事が起きないような 楽しい環境を作っていくという観点からみるか
のふたつの観点があると 話されていました

「環境」が彼らをどう受け止めているか というところからは
EAP(Employee Assistance Program:従業員支援プログラム)
を取り入れている企業でも 例えば1000人の従業員のうち
利用者は5%いかない
能動的に活用しようとする人へのケアでは成果を上げても
残りの95%の意識の動向は わからないという発言もあり

自殺者を出した と表立って言えない環境
「夫の死を自殺ではなく病死として欲しい」と望む家族
EAPは会社契約として成立するため
実際は本人とカウンセラーとの間に守秘義務があるのに
会社の人事は個人情報として把握しているのではないかとの疑い
成果主義の問題点や 組織内でのパワハラ 人間関係
仕事・家族関係・プライベートな交際等のうち
自殺へと向かう意識の比重は 何が一番重いのかなど
話題は多岐に及びましたが 私は少しのもどかしさを感じながら
うまく発言できないままでいました

昨日はレネさんは参加されませんでしたが
彼を映画製作に駆り立てたのは 親しい隣人の死だとのこと
自殺との戦いにおいて 「敵」はいったい誰なのか
何と戦うのかという Aの強烈な視点から
現在の日本の自殺者と その背景を模索しています

一方 防止以前に 死について語れる環境がない
という観点から 様々な取り組みを実践している方々の発言も
現在の社会環境の成り立ちを 様々に分析する意見もありました

P1000304

帰り道 私は自分がもどかしく感じた点について
自分の仕事を通しても いつでも感じている原点
「強者」と「弱者」 「ケアされる者」と「ケアする者」
という二元論そのものを超える表現について 考えていました
特に 個人とその他一切の外部が 切り離されているような二元性
物理的も 生理的にも 精神的にも
切り離されてきたひとつの結果としての自死

「自殺」はたしかに悲しい あって欲しくはないこと
そういう方向に本人を導かないためにできること
そういう方向を向いてしまった人に対して できるアプローチ
ケアできる環境づくり ケア以前の環境づくり

これからするべき そしてできることを
それぞれ真剣に考えること

そして 私ができることのひとつは
「生」と「死」を相対化 二元化しないことでもあると思いました
単純に生と死のつながりをいうのでもなく ただ相対化しない考え方
二元化を超えたところから発想してみる 行動してみる 具体性を持つ
私はそれを「仕事」と呼びたいと考えているようです

それは時に きれいごとに聞こえたり
具体性に欠けた表現に 聞こえるかもしれませんが

C:「人間がものを分配するのは 飢えた人間が生き残りのためにとった行動」
という近代の定説に対して 以前読んだ「家族の起源」山極寿一著 の中に
あったことばを 正確に引用してみようと思います

・・・<引用
D:食料を分配することが発達したのは 仲間同士の親睦を深め
より自由度の高い社会交渉を発現させ 多様な協力体制を作り上げる
役割を果たしたからに他ならない
・・・<引用終り

固い表現ではありますが
長いこと二元論で成り立ってきた時代の変換に向けて
CとDのどちらが正しいかというよりも
両方の意識が 人間の中にはあるけれど
自分が本当に 行動したくなる時って
「自分のため」なのか「誰かのため」なのか
どちらがどんな場合に 力やエネルギーがわき出すのかを
感じることはできると思うのです

高齢者が認知症に向かってしまう要因のひとつに
「自分がもう役に立たない」という 悲しい無意識があると思います
病気を持っていても 自分にまだできることがあり
人の役にたつことがわかると 元気になる方がいます

ただし「利他的に行動しよう!」と言ったらすでに二元論的
利己と利他の間に 降りて来るこのの感覚
このあたりは 多数の話し合いの中では
とても伝わりにくいな とも感じるのです

なんだかブログの2回目にしては 固い内容になってしまったかな
ずいぶんまとまりのない散文ですが
3月11日の翌日の これからなにをするかを 考えることでもありました

向き合う事ができると 楽しみ方がちょっとづつわかる
亡夫と暮らし その後両親と暮らしながら
私が感じてきたことでもあります

私たちの身体に
深く染み込んでしまっている 二元論から脱却を
様々に試みていきたいと 思っています

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3月11日が近づきましたね


イメージ 3

エンディングセラピー講師の椎原 澄です

3月11日が近づき
新聞やTVでもまた 様々な特集が組まれていますね
あの日 あなたはどうしていましたか?

私は2階で仕事をしながら
母に夕食は何が食べたいかを聞いて
自分の誕生日の ケーキでも買ってこようかな
と考えていた気がします

かなり長い揺れが続き
東京がこれだけ揺れるということは
いったいどこが震源地だろうと
パソコンよりもTVで観たほうが早いかな と思っていたら
階下から母が不安そうに 私を呼ぶ声が聞こえました

急いで階下に降りてからも
しばらくは揺れていましたから
上記のように考えたのは ほんの数秒だったのかもしれません
か細い母の身体をリビングの丈夫なテーブルの下に押し込んで
しばらくは 母を抱きかかえていたかな

TVのスイッチを入れた後の光景
音量を調節した記憶はないのですが
無音の世界でした……
ヘリコプターから撮影しているに違いない映像が
道路を走る車を映し出し
そこに迫る津波も捉えているのです

あそこに いま津波に追われて走っている車がいるという現実
その車が 追いついてしまった津波に 飲み込まれていくのです
その現実を 東京の揺れのおさまったリビングで 観ているという現実

あの日からしばらくは 自分の身の回りが 何も変わることなく
穏やかであることに えも言われぬ申し訳けなさを
感じ続けたことを 覚えています

石巻は 母が生まれた土地です
女学校への入学で 家族揃って仙台に 引っ越し
それから数年後に 大阪から仙台の大学に入学して 
下宿暮らしをしていた父と出会い やがて結婚したと聞いています

その石巻や仙台が 大変な姿で
その後 何日も何日も TVに映し出されるのに
もう親類も誰もなく 行き来もすっかり無かったからでしょうか
母がひとことも 何のことも 誰のことも口にしなかったのは
母の認知能力が そのように衰えていたからなのか 
不安や恐怖や心配を 口にしない母に 私は ほっとしていました

半年くらいたってからでした
たったひとこと「石巻 大変なことになってるんだって?」と
初めて知ったように 母がつぶやいたのは…
誰かの安否を気遣うなら 
私から連絡をとってみようかとは言えたでしょうが 
私が「地震と津波でとても大変な状態よ」と言うと
もうそれ以上の話は 何もしませんでした

あの頃 母の中では 死はどんな形を持っていたのでしょう
1年前の5月に 父を看取った後も
マイペースで 淡々と生活していた母

「私が中学生の頃 お母さんに
『人間は何のために生きているのかしら』なんて 
一番聞くのが相応しくないこと聞いたの覚えてる?」
と聞いたら 「さぁ〜?」って すっかり忘れていました

あの時 母は少し得意そうに「人間はね 何のために
何のために?って考えながら一生を送るんだよ」と言ったの
私は反射的に「ちがう!」と思ったけれど
それを口にはだしませんでした 

2007年から37年ぶりに 一緒に暮らす事になって
母にとっては それが正解だったのだなあって 思っています
私にとっては やはり違う答えだったので 
今 このように生きています

死生観も 生死観も 百人百様 違っていいのだけれど、
私は30代のころに勉強したルドルフ・シュタイナーの「人間論」の中で
「地球という 身体を持っていなければできないことをする場と時間」
という言葉が とても印象に残っています

これからも 生きている限り 与えられた身体と意識を使って
何ができるのかを 実践しながら生きていきたいと思います
若いうちから また 家族の中でも自然に 
それぞれの死を話題にできることも
できることの ひとつじゃないかなあ と考えています
あなたは どんな風に考えますか?

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