原風景とエンディングセラピー


原風景とエンディングセラピー 

懐かしい貌 様々な風景

 

エンディングセラピー講師の椎原 澄です

現在 私のサロン「コーチングcos-com」があるのは
東急多摩川線の一角 多摩川の河川にほど近い
静かな住宅街です
2007年の暮れ近く 37年離れていた実家に
高齢になった両親と 暮らす為に転居してきました
そう 20歳まで暮らしていたふるさとです

地方から東京に出て 下宿やアパートに住んでいた
友人たちが うらやましくて
私も ひとりぐらしに憧れて
アルバイトで溜めたお金を資金に
住む場所を決めてしまってから 親に伝えた若かりし頃

その後の37年は ずいぶんあちこちに住みました
数えてみたら 転居は軽く20回を越えます
様々な土地の記憶は また思い出しながら
改めて 書いてみたいと思います

そういえば 私が 中学生か高校生の頃に
父が機嫌良く酔っぱらって 私たち姉妹に
「おまえたち… 大人になって
もしも親に感謝する気持ちが湧いたら
それは親じゃなくて 社会に返しなさい」なんて言ったとき

「えらいこと言う親だな〜 それなら私は
社会にも親にも 恩返ししよう〜」なんて
殊勝ことを 考えた覚えがあるのですが

たいしたこともできないまま
いえ むしろ親には 散々心配をかけて
それでも「親の最期は 私が一緒に暮らすのかな」と
その時の記憶が 実家に 私を運んできたのかもしれません

一緒に暮らし始めてから 父に昔の話をしたら
「そんなこと言ったか?」って すっかり忘れていましたが…

さて 東急多摩川線は 昔は目蒲線の一部でしたが
いつのまにか 多摩川駅と蒲田駅の区間 5駅だけが多摩川線に
目黒駅から 多摩川駅から川を渡って 日吉駅に行くのが目黒線
渋谷駅から 多摩川駅を通り 川を渡って横浜方面が東横線
目黒からも 渋谷からも
他の地下鉄と繋がって 複雑な路線に なりました

多摩川線の沿線は ポッカリと 昔の佇まいが残っています
多摩川駅のひとつ先の田園調布とは 全く趣きの違う
庶民的な 駅前商店街
昭和30年代の映画のロケが 行われる町並みです

家の近所も 昔のままのお宅が大半で
両親と 同世代の方々が 今も暮らしていらっしゃいます
私の世代の娘や息子が出てしまって
ご夫妻や すでにお独りになってしまった方のお宅も

ところでここには 「町内会」というシステムも 残っています
今年は 私が「当番」で 町内会費や 年末の募金集め
回覧板を廻すなども 当番のお役目です

細かく区分されていて 大した件数を廻るわけではありません
でも先日 早速「赤十字の寄付」という毎年恒例の集金があって
何件かの お宅を廻ってきました

私や姉との 小学校の同級生の お母さまなど
お独り暮らしのお宅を訪ねると
ピンポーンとブザーを押しても 玄関のドアが開くまでに
とても時間が掛かります そして私の顔を見て
「まあ。。。。」って 顔を覚えていて下さったみたいで

「ごめんなさいね。。。。歩くのに時間がかかちゃって」

いいんですよ マイペースで
ゆっくり のんびり ご自分の時間を過ごして下さいね…

「ここに名前を書くんでしたわね」
はい お名前と住所が 必要なんです

「私が書きましょうか?」と名乗りでて
玄関先で 書いて差し上げました
そしてちょっとだけ 親のことなど立ち話を

「まあまあ あなたの笑顔が見られて
今日は1日 得したみたいよ」なんてことばをいただいて
うっすら涙を見せられたら…

・・・80代での独り暮らし
どんな過去を暖めながら どんな今後を思いながら
毎日の暮らしを 過ごしているのでしょうか
ちょっぴり切なく 日常で何ができるのかしらと
改めて 考えた昨日でした

多摩川の土手に登ると
川を挟んだ向こう岸は 神奈川県です

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60年代にあった東京オリンピックは
東京の貌を 大きく変えた地域がたくさんあったけれど
このあたりは 街も川も
私が小さな頃にみた 原風景とは 大きな変化はありません

川原敷の グラウンドでは
高校球児や サッカー練習の 声が聞こえます

そして 多摩川の向こう岸は
高層マンションがいくつもいくつも立ちました
富士山が ビルの間からしか 見られなくなったのは
ちょっぴり残念かな

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